
これがヤンキースだ!
概略 チーム誕生 ニックネーム ロゴ ピンストライプ 背番号と永久欠番 名場面 映画で見るヤンキース 1998年優勝パレード ワールドシリーズ年度別成績&歴代監督 レギュラーシーズン年度別成績
2008年ヤンキースは面白い。その要素は何よりも若返り。まずは監督がジョー・トーレからジョー・ジラルデイに交代。日本ではトーレ監督は伝説の監督のようにもてはやされているし、ニューヨークでももちろん彼は優秀な監督として評価されている。しかしここ数年の彼の采配を見ても疑問視は残ったし、10年以上もの同じ政権はやはりマンネリズムになってしまったといえる。その意味でも選手同様の若返りは期待度大といえる。特にジラルディーは元ヤンキースだし、元キャッチャー、コーチの経験もあるし、フロリダ・マーリンズの監督時代では若手育成能力を証明済みだ。さて、肝心の選手たちをみてみると既に力量を証明し活躍済みのメルキー・カブレラやロビンソン・カノウを筆頭に投手陣も若返った。やはり2年連続20勝にあと一歩のチン・ミン・ワン。そして彗星のごとく現れ向かう所敵なしの完璧なセットアップ役をこなしたジョバ。彼は先発よりもこのまま抑えでマリアノの後釜として育てる方が良い気はするが、どうやら先発要員らしい。他先発陣ではフィル・フーズとイアン・ケネディーがベテラン先発のムシーナとアンディーを支える。この若手陣への期待度は今後10年のヤンキースを支えると思うとワクワクしてくる。若手以外のお馴染み選手も健在だ。ジーターや松井さん、ポサダ、マリアノ、デーモン、アブレイユ、人騒がせなAロッド。主力選手の大きな変更がないのがこれまた新政権にとっては強みといえる。野球はチームスポーツだから。逆に心配の種といえばやはり中継ぎ陣。10年前の黄金時代は先発が6〜7回まで投げ、7〜9回のラストイニングをスタントン、ネルソン、マリアノというラインがあった。それはちょうど昨今優勝しているチームが確立しているものでもあるということは、勝つためにいかに重要なことかというのが分かるだろう。ここがやはりキーポイントになるといえる。あとは怪我。2007年のように怪我に呪われないことを祈るばかりだ。ところで、今年は現ヤンキースタジアムが最後ということで人気度も昨年以上になるだろうし、更に7月にはオールスター戦もヤンキースタジアムで行われる。これも今年のヤンキースの目玉だ。さあ、今年のニューヨークヤンキースは面白い!みんなで応援しよう!
誰もが一度は聞いたことはあるスポーツチーム名。伝統と誇りのチーム。あのピンストライプに袖を通す事が出来るのは本物の野球選手だけ。アメリカ中の野球少年たちの憧れの的。
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ニューヨーク・ヤンキース |
| 創設 |
1901年 |
| 現オーナー |
ジョージ・スタインブレナー3世
他 |
| 現監督 |
ジョー・トーレ |
| 本拠地 |
ヤンキースタジアム(ニューヨーク市、ブロンクス区) |
| ユニホーム |
ホーム:白地に黒ピンストライプ,
ビジター:灰色地 |
| 優勝回数 |
リーグ優勝39回、ワールドシリーズ優勝26回 |
| 連覇、()内はWシリーズ連覇 |
5連覇2回(1回)、4連覇2回(1回)、3連覇5回 |
| 主な歴代選手 |
ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグ、ジョー・ディマジオ、ミッキー・マントル、ヨギ・ベラ、ロジャー・マリス、レジー・ジャクソン、ドン・マッティングリー他 |
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チーム誕生
ニューヨーク・ヤンキースの歴史は100年前にさかのぼります。今でこそ「伝統」が代名詞のヤンキースは、とかくメジャー最古の歴史を持つ強豪チームと思われがちです。しかし、実はヤンキースは20世紀になって生まれた弱小チームだったのです。それに引き換えライバルのボストン・レッドソックスははるかに歴史もあり、強豪チームだったのです。
1901年、アメリカン・リーグの成立と共に創設されたヤンキースの生まれ故郷はニューヨークではなくボルチモアでした。球団名はボルチモア・オリオールズ(うぐいす)。ちなみに現在ある同名チームとは無関係です。元々ナショナル・リーグの強豪だったオリオールズもリーグ縮小のためリストラされ、新生オリオールズが誕生しました。旧オリオールズの主力選手たちが新しいオリオールズに加わり、監督兼選手だったジョン・マグローが新チームの監督に就任しました。この後マグローはア・リーグ創設者と対立し、ナショナル・リーグのニューヨーク・ジャイアンツに移ってしまいました。
1903年、歴史が始まります。ヤンキースの前身であるオリオールズがニューヨークへ移転してきたのです。オーナーも新しく替わりました。元ニューヨーク市警察署長のビル・デビリーと、いくつかの賭博場と競馬ウマの厩舎を経営するフランク・ファレルが$18,000で買収したのです。と言っても、2人とも本当は当時のニューヨークの強豪チーム、ジャイアンツを買いたかったらしいです。とにかく、オリオールズのニューヨーク移転に伴い、ニューヨークに新しい球場が建設されました。この球場は、現在のワシントン・ハイツと呼ばれる北部マンハッタンの高台(マンハッタンの最高標高地。ブロードウェイ&168丁目、現コロンビア大学医療センター)にあったことから「ヒルトップ・パーク」(別名、アメリカンリーグ・パークやハイランダーズ・パーク)と呼ばれ、チーム名もニューヨーク・ハイランダーズとなりました。チーム名の意味は直訳すると「高地の人」ですが、同名のイギリス軍隊から当時の人にとっては戦う者たちというイメージがあったそうです。初代監督はクラーク・グリフィスで、彼は投手としても活躍しのちに野球の殿堂入りを果たしたほどです。この年の3月、ハイランダーズはア・リーグのメンバーとして承認されます。4月22日に歴史となる最初の試合を行いましたが、ワシントンに1−3で敗戦。しかし、翌日には同チームから球団史上初勝利を獲得しました。そして、4月30日には記念すべきヒルトップ・パークでの開幕戦を白星で飾りました(相手はワシントン)。
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ヒルトップ・パークの位置
ブロードウェイ&158丁目 |
現在のヒルトップ・パーク跡地
球場は1914年壊され、コロンビア大学医療センターの所有地となった |
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ヒルトップ・パーク
ハドソン川とニュージャージー州
バックネット裏と3塁側客席の一番後ろの列からは絶景が見える |
ヒルトップ・パーク跡地
球場が実際にあった場所、実際にホームベースのあった場所に、ホームベース型記念碑が設置された |
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アメリカンリーグ・パーク
ヒルトップ・パークの別名で、ハイランダーズ・パークとも呼ばれていた。メインゲート。まだ馬車もあり、入場にはドレスコードもあった |
ヒルトップ・パーク満員御礼
当時では珍しくない事だが、16000席が売切れると、写真のようにグラウンドに観客を入れていた。
1907年7月4日、対フィラデルフィア・アスレチックス戦 |
1905年頃、この頃から「ハイランダーズ」という名前が新聞記事には長過ぎて見だしに使いにくいために、編集者たちが短い名前を探していたのは事実のようです。その時に使われ始めた代名詞が「ヤンキース」だという説があります。
1913年、10年間使ったヒルトップ・パークのリースも切れてしまい、これ以上お金をつぎ込む必要がないと判断したオーナーは、新しい敷地が見つかるまでの間、ナ・リーグのジャイアンツの好意に甘え、彼らの本拠地ポログラウンドを共用させてもらう事にしました。ハイランダーズはヒルトップ・パークを離れた訳ですが、チーム名も正式にヤンキースと変更します。しかしながらチームの勝運まで変える事は出来ず、毎年低迷が続きました。
1915年、球団がビール会社のジェイコブ・ルパート大佐と百万長者ヒューストン大佐に$460,000で売却されると、新オーナーは21年の初優勝までに熱心にチームを補強、様々な選手たちをトレードで獲得していきます。その中には、結果的にあのベーブ・ルースも入っていることになります。
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ニックネーム
アメリカン・リーグが1903年にボルチモア・オリオールズをニューヨークに移転させてから、チームののニックネームはハイランダーズとなりました。球場がマンハッタン最高地にあったのが理由です。しかし、1905年頃から「ハイランダーズ」という名前が新聞記事には長過ぎて見出しに使いにくいために、編集者たちが短い名前を探していたのは事実のようです。その時に使われ始めた代名詞が「ヤンキース」という説があります。その後、高台にあったヒルトップ・パークという球場を後にした時から、正式にヤンキースと変更しました。1913年の事です。
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ロゴ
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「N」と「Y」をあわせたヤンキースのロゴは1909年に初めてハイランダーズのユニホームに使われました。デザインは、現在5番街の宝石屋さんとして有名なティファニー店のルイ・B・ティファニー。1877年に創作したものです。元々は殉職したニューヨーク市警ジョン・マクダウェル警官(最初の殉職者)へのメダルとして作られました。球団オーナーの一人に元NY市警察署長がいたので、ハイランダーズに採用されたようです。1903年から毎年(1905年を除く)ユニホームの左右に「N」と「Y」に分かれていたロゴですが、これに代わって初めて左袖と帽子の両方にこのティファニー製ロゴが採用されました。 |
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初代監督クラーク・グリフィス(1903〜08年)と当時のユニホーム&ロゴ。クリックで拡大します。 |
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ピンストライプ
ニューヨーク・ハイランダーズとしてヒルトップ・パーク球場で最後のシーズンを迎えることになる1912年4月11日。本拠地での開幕戦にピンストライプのユニホームはデビューします。しかし、せっかくのこのユニホームは何と1年で廃止。1913年に正式にヤンキースと改名された時のユニホームは単なる白いユニホーム(ビジター用はグレー)でした。その後、1915年にはピンストライプは復活しました
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ユニホームの変遷
各年とも左がホーム用、右がビジター用 |
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1903年
それぞれ白と黒が地
1904年のビジター用は濃紺が基調 |
1909年
ティファニー作ロゴが左袖と帽子のみ採用
写真は1911年チーム写真 |
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1912年
伝統のピンストライプ誕生!
しかし1年で廃止
15年に復活するも、この形(現スタイル)に戻るのは1936年 |
1913年
ピンストライプがない!
単なる白い生地にロゴ |
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1915年
復活したピンストライプ
しかしロゴが消えた!
帽子も右のベーブ達と違う
写真は1917年ウォーリー・ピップ |
1920年代
ベーブ・ルース(右)
ルー・ゲーリッグ(左)
胸にロゴがない |
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1927年
ビジター用にある胸の「ニューヨーク」文字を「ヤンキース」に変更したが、31年には元に戻す |
1927年のシーズン最終戦で、60号本塁打を放ち生還するベーブ。出迎えるのはルー・ゲーリッグ。皆の背中に 背番号もない。 |
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1939年
ルー・ゲリッグ引退宣言
現在のロゴが胸に輝いている
以後、このスタイルが伝統となる |
現在
写真は2000年、折れたバットの破片を投げるロジャー・クレメンス。左袖の線は1999年没のジョー・ディマジオを偲んで
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メジャーを代表するピンストライプのユニフォーム。MLBだけでなくスポーツ界でも最も有名なユニホームの1つであるこのピンストライプですが、実は最初に採用したのはヤンキースではありません。これもヤンキースのチーム史そのものと同じく、驚く方がいらっしゃるかもしれません。
採用オリジナルチームは、恐らく1907年のシカゴ・カブスとボストン・ダブス(現アトランタ・ブレーブス)あたりかもしれません。しかもヤンキースが取り入れた年は他に8球団もピンストライプを採用していたようで、一種のファッションだったのかもしれません。
ちなみに、胸のロゴは1917年に廃止。1927年に、ビジター用ユニホームの胸の「ニューヨーク」の文字を「ヤンキース」に変更しましたが、31年には「ニューヨーク」の文字に戻し現在に至ります。今のロゴがピンストライプ・ユニホームの胸に輝くのは1936年のルー・ゲーリッグ時代であり、1920〜34年にヤンキースで活躍したベーブ・ルースはこのユニホームを一度も着ていなかったのです!時折、写真で見かけるベーブ・ルースのこのピンストライプ+ロゴのユニホーム姿は実は「やらせ」。引退後の記念写真用だったのです。
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背番号と永久欠番
ヤンキースは恒久的な背番号を採用した球界最初のチームです。1929年の事です。直ぐに他チームも背番号を採用。1932年には標準的なものになりました。ヤンキースでの背番号の付け方は元々、打順から取られたものでした。ちょうど、日本の高校野球児の背番号が守備が基本となるように。従って1929年の打順で、3番バッターはベーブ・ルースなので背番号「3」、4番バッターはルー・ゲーリッグなので「4」ということになります。
ヤンキース永久欠番記念碑は他記念碑と共にヤンキースタジアムのモニュメント・パークにあります。ちなみに、スポーツ界で最初に永久欠番となった選手は、ルー・ゲーリッグです。
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番号 |
選手名(英語) |
選手名(日本語) |
欠番設定日 |
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1 |
Billy
Martin |
ビリー・マーチン |
1986年8月10日 |
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3 |
Babe
Ruth |
ベーブ・ルース |
1948年6月13日 |
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4 |
Lou
Gehrig |
ルー・ゲーリッグ |
1939年7月4日 |
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5 |
Joe
DiMaggio |
ジョー・ディマジオ |
1952年 |
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7 |
Mickey
Mantle |
ミッキー・マントル |
1969年6月8日 |
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8 |
Bill
Dickey |
ビル・ディッキ- |
1972年 |
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8 |
Yogi
Berra |
ヨギ・ベラ |
1972年 |
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9 |
Roger
Maris |
ロジャー・マリス |
1984年7月21日 |
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10 |
Phil
Rizzuto |
フィル・リズトー |
1985年8月4日 |
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15 |
Thurman
Munson |
サーマン・ムンスン |
1979年 |
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16 |
Whitey
Ford |
ホワイティー・フォード |
1974年 |
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23 |
Don
Mattingly |
ドン・マッティングリー |
1997年8月31日 |
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32 |
Elston
Howard |
エルストン・ハワード |
1984年7月21日 |
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37 |
Casey
Stengel |
ケーシー・ステンゲル |
1970年 |
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*42 |
Jackie
Robinson |
ジャッキー・ロビンソン |
1997年4月15日 |
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44 |
Reggie
Jackson |
レジー・ジャクソン |
1993年8月14日 |
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49 |
Ron
Guidry |
ロン・ギドリー |
2003年8月23日 |
| *42:球界の永久欠番に設定されていますが、現在ヤンキースでは抑えのエース、マリアノ・リベラが使用しています。彼が元々、着用していたためです。その選手が現役引退などした場合、それ以後の使用は不可能となります。 |
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名場面
多すぎて書ききれませんので、独断と偏見で書き出しました。順序に優劣はありません。他にもヤンキース名場面はたっくさん!

| 2004年、対レッドソックス戦 |
デレク・ジーター、伝説の「ダイブ!」(上写真) |
| 2001年ALDS3戦 |
デレク・ジーター、バックハンドのホーム送球 |
| 1961年10月1日 |
ロジャー・マリスのシーズン61本塁打記録達成! |
| 1978年10月2日 |
ア・リーグ1948年以来30年振りのプレイオフ-ボストン対ヤンキース。夏まで首位ボストンに14ゲーム差付けられたシーズンの結末は? |
| 2003年ALCS第7戦 |
ボストンの夢とバンビーノの呪い |
| 2001年Wシリーズ4、5戦 |
野球は9回二死から始まる |
| 1956年10月8日 |
ドン・ラーセン、Wシリーズ史上最初で最後の完全試合 |
| 1977年Wシリーズ6戦 |
ミスター・オクトーバー3連発! |
| 1949年10月1〜2日 |
不滅の5連覇への幕開け。ディマジオの気迫と奮闘! |
| 1939年7月4日 |
ルー・ゲーリッグの2130試合連続出場記録と引退宣言セレモニー
"Today, I consider myself the luckiest man on the face
of the Earth." |
| 1941年 |
ジョー・ディマジオの61試合連続試合ヒット |
| 1983年7月24日 |
「松ヤニ」事件 |
| 1979年8月6日 |
サーマン・ムンソンの飛行機事故死と親友ボビー・マーサーの弔い合戦 |
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映画に見るヤンキース
ヤンキースというチームも一人一人の選手も、そしてもちろんヤンキースタジアムもみな絵になります。ここではヤンキースが何らかの形で絡んでいる映画をご紹介します。
ニューヨーク映画のロケ地ツアー
| 61アスタリスク
"61*" 2001/米 |
| 自他共に認める大ヤンキースファンであるビリー・クリスタルが監督の映画。1961年にロジャー・マリスが達成した1シーズン最多本塁打新記録をメインテーマに、ミッキー・マントルとの友情を交えて描いた秀作。ロジャーもミッキーも本物のように似ている。旧デトロイト球場を昔のヤンキースタジアムとそっくりに再現。 |
| 打撃王
"Pride of Yankees" 1943/米 |
| スポーツ界最初の永久欠番となった、鉄の馬ルー・ゲーリッグ物語。ゲーリー・クーパー演じるルーが素晴らしい。それだけでなく、あの1939年の引退宣言も本当に泣かせてくれます。本物のベーブ・ルースだけでなく、永久欠番のビル・ディッキーも出演。旧ヤンキースタジアムが美しい。 |
| ゆるやかにドラムを叩け "Bang
the Drum Slowly" 1973/米 |
| ヤンキースの実物語ではないが、主演のロバート・デ・ニーロがキャッチャー役で奮闘。ヤンキースユニホーム姿は必見。 |
| セルピコ "Serpico"
1973/米 |
| これは個人的趣味から紹介させて頂いているが。。。パチーノ映画の中でもかなりの秀作と思われる。署内の腐敗と戦う実在のニューヨーク市警官ミスター・セルピコの話。今でもこのセルピコはニューヨーク市民から絶大なる人気を得ている。改装前のヤンキースタジアムが映っている。 |
| ナチュラル "Natural"
1984/米 |
| ロバート・レッドフォード演じる35歳のなぞの新人プレイヤー、ロイ。架空の野球チーム、ニューヨーク・ナイツのユニホームレプリカは野球の殿堂クーパーズタウンにも売っているほどアメリカ人の心には(いや、野球ファンには)熱く刻まれている作品だろう。これもヤンキースと無関係だが・・・。 |
| フィールド・オブ・ドリームス
"Field of Dreams" 1989年 |
| これもヤンキースねたではありません。どちらかというとシカゴファン向け?それでもボストンのフェンウェイパークなどが映っていたり、やはりヤンキースファンも研究しておかないといけない作品!? |
| ラブ・オブ・ザ・ゲーム "For
Love of the Game" 1999/米 |
| ケビン・コスナーの野球映画といったら、やはりこれも忘れてはいけないでしょう。これはヤンキース絡みです。彼が演じるのはデトロイト・タイガースのピッチャーですが、完全試合で封じ込められる相手チームが何とヤンキース!冗談じゃないよ!! |
| 夢を生きた男
ベーブ "The Babe" 1992/米 |
| その題名だけでわかるだろう。説明もいらないベーブ・ルース物語。 |
| あなたに降る夢 "It
Could Happen To You" 1994/米 |
| ニコラス・ケイジとブリジット・フォンダ主演の軽いラブストーリー。宝くじを当てた主人公が子供たちに、ヤンキースタジアムを貸切プレゼントする。楽しい映画だ。 |
| ラスト・チャンスをあなたに "Just
the Ticket" 1998/米 |
| ヤンキースタジアムにローマ法王がやってくる!アンディー・ガルシア扮するダフ屋のお兄ちゃんが愛する彼女の為に一儲けを企む・・・。球場でのアンディーの服装に注目!ラブ・コメディー。 |
| ニューヨーク恋物語2 日本 |
| 田村正和さんのヤンキース帽姿が見られます。球場でのピーナッツの買い方が良く分かります。「ピーーナッッ!!!」って感じで。 |
他にもたくさん紹介したいのですが、随時アップデートしたいと思います。
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1998年ヤンキース ワールドシリーズ優勝パレード風景
クリックで拡大しますが、当時はデジカメもなくピントがずれた写真になっています。右から2番目の写真でヤンキースロゴの前に立っているのが伊良部投手です。ご存知の通り、日本人初のワールドシリーズリングはこの伊良部投手でした。
ワールドシリーズ年度別成績&歴代監督
レギュラーシーズン年度別成績
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概略 チーム誕生 ニックネーム ロゴ ピンストライプ 背番号と永久欠番 名場面 映画で見るヤンキース 1998年優勝パレード ワールドシリーズ年度別成績&歴代監督 レギュラーシーズン年度別成績
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